loading
loading

loading...

SPECIAL INTERVIEW

INTERVIEW 002 / 003

佐々木敦規という生き方
asked to ATSUNORI SASAKI.
お調子紋三おちょうしもんぞうとバカにされ続けた時代を越えて

背景画像

#007
ついたあだ名が
"お調子紋三"

  どの世界にも言えることですけど、仕事において人間関係というのは大きな要素になります。ひとりでできることには限界があるので、他人とうまく付き合っていけない人はダメじゃないですか。その点、僕は狡賢いところがあって、こっちで良い顔、あっちでも良い顔をして、プロデューサーの人達からは“お調子紋三”ってあだ名がつけられたくらいでしたので(笑)。ダメADでしたけど、良い所だけをアピールして認めてもらう、という偉い人から可愛がられる小狡いテクニックを持っていましたね。
 なのですぐに気に入られて、1年目なのにいきなりディレクターの仕事を担当させてもらいました。そこには実力なんてのは一切なくて、ほんとうに調子だけ。そんなことを続けていたら出世も早くて、AD時代は2年しかなく、3年目にはディレクター席に座って指示を出していました。ディレクターに昇格したのは25歳の頃でしたが、今の時代は30歳を過ぎてもADを続けている人も多いので、これは時代も味方したのだと思いますけどね。

  傍からは大出世のように羨ましがられたとしても、調子だけで生きているのは自分が一番よく分かっているんですよ(笑)。笑顔で仕事を引き受けていた反面、プレッシャーは半端ではなく、裏では相当悩んでいました。それでも「自分はこの世界で生きていくんだ」という覚悟は持っていたので、いろんなものを吸収しようと背伸びをしていた時期でしたね。

#008
この発想で
間違っていなかったと
確信した料理番組

 先輩の演出を見せてもらったら、それを自分の中のスパイスとして取り入れ、自分色に染めていく。無から有を生み出す力はまだなかったので、代わりに様々なものを組み合わせてそこで勝負をしていました。ただ、そういうスタイルを続けることでアイディアの土台のようなものが蓄積されていったんです。そして、初めて自分のオリジナルアイディアで上手くいったのが『郁恵・井森のお料理BAN!BAN!』でした。

 『郁恵・井森のお料理BAN!BAN!』は、ディレクターになって3年目くらいに作った番組です。今までのお料理番組といえば、シェフや料理研究家などの料理上手な方が出演するのが定番だったのですが、料理が苦手な榊原郁恵さんと井森美幸さんのふたりが行なうというエポックメイキング的な内容にしました。すると、それが大好評に。それまでの僕の仕事は、偉い人が「やれ!」と言ったことを具現化してきた感じでしたが、これは完全に自分のオリジナル。「この発想で間違っていない! 自分の発想が通用するんだ!」と自信が持てるきっかけになった作品でした。

#009
コアをコアのままに
楽しむ「K-1」

 無から有を生み出した作品としてもうひとつ挙げるとしたら、格闘技イベント「K-1」の番組演出です。当時はまだアンダーグラウンドな存在だった格闘技を、どうやって見せていこうかとスタッフと一緒に悩みました。バイオレンスが強いコアな魅力がある格闘技を、TVというメジャーな媒体で扱うにはどうすればいいのか。そこでヒントになったのがサブカルチャーです。サブカルチャーはコアをコアのままに楽しむ文化があり、“コアの魅力を消さずにメジャーに見えるような演出”というスタイルに行き着きました。これも最初は世間に認められるか不安でしたが、結果的に高評価を頂くことができました。

  これを読んでいる方の中には、演出に興味がある方もいると思います。たまにどんなTVを見ておけばいいかと聞かれることがありますが、もし、バラエティー番組で挙げるとしたら「8時だョ!全員集合」「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」「オレたちひょうきん族」の3つは基本ですね。
 例えば「8時だョ!全員集合」は、バラエティーの王道です。あれは舞台上での笑わせ方の良い例。公開収録でお客さんの目の前で生で笑わせていたので、間の使い方、展開、小道具、タレントの動かし方、全ての要素が詰まっています。他には「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」も、様々な視点で観れば気づくことが多くあります。あの作品には爆破のシーンが良く出ますが「これは許可をどう取ったのか?」「爆破の後は誰が綺麗にしているんだろう?」「保険はあるのだろうか?」とか、裏側で何をやっているかということまで興味を持っていれば、すごく優秀なスタッフとしてどこも受け入れてくれると思いますね。

#010
ディレクター時代の
大失敗は
「人の意見を
聞き過ぎたこと」

 AD時代は人の顔色ばかりを窺っていましたが、ディレクターになったらそれだけでは通用しません。僕は25年近くこの業界で仕事をしていますが、今までで最大の失敗は何かと聞かれたら「人の意見を聞きすぎたこと」と答えます。
 右も左も分からない駆け出しの頃であれば人の意見を聞くしかありませんが、何年も現場を経験して要領が分かって来た頃であれば「多すぎる他人の意見は毒になる」ということも覚えておきましょう。僕もかつては人の意見を聞き過ぎていた時期があり「チーフディレクターがこう言っていた」「プロデュサーからこう意見が出た」「タレントがこんなことを……」と、様々な意見を取り入れてみたのですが、正直に言って、それで面白いモノが完成したことはありませんでした。実際に視聴率が取れたかといったら、それほどでもない。

 クリエイターというのは、最終的にはどうやって自分の我を通していくかに行き着きます。突き進んだ結果が大失敗をしたとしても、それは反省の材料になりますし、酷評されたら成長のきっかけになります。なによりも、作り手は清々しい気持ちでいられます。この問題で悩んでいる人は未だに沢山いると思いますので、あえて言わせてもらいますが、「自分のクリエイティブを捨てたものをつくっても、それは未来へ繋がらない」ということですね。

#011
自信を持つことも
演出家の仕事のひとつ

 自分の我を通すために必要なのが"自信"です。これは、ディレクターとして欠かすことはできない要素になります。僕は今まで、自分に自信が持てないで悩んでいる若手クリエイターを大勢見てきました。ただ、自信というのはある日に急に持てるわけではなく、相当な時間がかかってしまうものです。その途中は不安やプレッシャーとの戦いですが、自分の足で一歩ずつ進んでいくしかありません。まずは沢山チャレンジするしかありませんが、ありがたいことに上の人というのは、若手にチャンスをあげる機会を待っています。“お調子紋三”時代に、実力もないのに経験をさせてもらえたのは、そういう裏側があったからなのだと、今では理解ができ、感謝もしています。
 世間的な失敗が怖いかも知れませんが、本当の失敗というのは、自分の我を捨てた時です。お調子者と呼ばれるくらいで構いませんので、少し背伸びをする生活をしてみる時期があってもいいと思いますよ。

to be continued
PAGETOP